2011年3月20日 の説教



 聖書

ルカによる福音書 11章14〜26

説教要旨   洗礼を受ける際に、私たちはもう罪を犯してはならないという主の言葉を頼りにします。それはヨハネ福音書8章で姦淫の罪によって裁かれようとした女性を救った時に主イエスご自身もまた「わたしもあなたを罪に定めない。これからは、もう罪を犯してはならない」と語られた言葉に由来します。 

  今日の11章24節以降には、一旦人を出た汚れた霊が再び更に悪い霊を引連れて戻ってくると、その人のありようは以前より悪くなる、という。神様から赦されているにも拘らず、更に悪い罪の状態になる事に抵抗できない。大変厳しい事です。しかしこのまま悪霊の住処であり続けてよいはずがない。神様に、また教会の仲間に助けを求め立ち上がらせて頂くのです。それが大事なことです。

 本日冒頭のルカ1114節には主イエスの癒しに対して「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言う者や、イエスに天からのしるしを求める者がいた、ということですが、「癒し」という本来喜びに溢れた働きを妬み嫉みで誹謗中傷する人の心の罪深さは、同じ「神の指」という言葉のテーマが示す出エジプト記8章のファラオの心にも表れています。しかし主は「わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ(20節)」とおっしゃいました。別な箇所(ルカ17章21節)で「神の国はあなたがたの間にある」という主イエスの言葉も思い起こしますが、私たち人間の隣人関係というものの複雑さとは裏腹に、互いに愛し合いさえすれば、神の国はあなたがたの間に手に届くところにあるのだという事実に向き直らせてくれるのです。
 今被災地の人々と私たちの間に神の国はあるのです。この震災から立ち直ろうとする人々の痛みや悲しみに共に手を繋ぎ、心からの支援をなしてゆくところに確かに私たちの神の国は来ています。

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