2011年3月20日 の説教



 聖書

ルカによる福音書 24章36〜43

説教要旨   復活した主イエスが現れ、弟子たちの真ん中に立って「あなたがたに平和があるように」と言われた時(36)、弟子たちは亡霊を見ているのだと思った、とのことです。先週の聖書箇所ではちょうどこの手前の部分で、エマオに向かう途中で主イエスに出会った二人の弟子の出来事を読みましたが、この二人も弟子たちの集まりに居合わせて目撃報告をしていたところです。

 この二人も重苦しい心を抱えていたのでありましょう。それはすぐに主イエスだと気がつかなかったのであるし、その時言われた主イエスの言葉「ああ、物分かりが悪く心が鈍く…信じられない者たち」(25)、それはまさに自分たちのことだとの受け止めもあったことでしょう。弟子の筆頭頭であるペトロにしても、主イエスを知らない、と言い、十字架の前から見捨てて逃げた、ばつの悪さをかかえてもいます。

 ところがイエスを復活のイエスであると認識できない反省の上に立ちながらも、彼らは主イエスを見てまたもや亡霊だと騒ぐ。「物分かり」「心の鈍さ」を問われたばかりです。弟子たちは以前にも主イエスのことを幽霊だと思ったことがありました(マルコ645)。「湖上を歩くイエス」を見てそう思ったのです。この時、主イエスはやはり本日出現した時と同じように「安心しなさい(=平和)」「わたしだ」との言葉で語りかけたが、弟子たちの心は鈍いとの指摘がやはりあります(52)

 復活された主イエスは弟子たちへのご自身の復活の証として、食べ物を求められ魚を食された、とあります。弟子たちはこの復活された主の姿を印象深く受け入れ喜んだことでしょう。初代のキリスト教会のシンボルは魚であったとよく言われますが、それこそは彼らと主イエスをつなぐ希望の結び目であったものです。私たちにとっては聖書のみ言葉がありますが、私たちもまた神様との結び目をしっかりと結びあってまいりたいと願います。

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