2011年3月20日 の説教



 聖書

ヨハネによる福音書 6章34〜40

説教要旨   イエス様はご自身のことを「命のパン」だとおっしゃいました。この前の段落で5000人の人々にたった二匹の魚と五つのパンを分かち与えた奇跡を起こされたために、多くの人々が主イエスにつきまとうようになった。それは「しるしを見たからではなく満腹したからだ」と指摘されるのですが味をしめた人々は容易に引き下がりません。「朽ちる食べ物ではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」と主は言われました。この永遠の命を与える食べ物にたとえられる「命のパン」こそイエス様ご自身なのです。

 作家の佐藤優さんが「はじめての宗教論」という本の中で「人はパンのみに生きるにあらず(マタイ44)」とは出エジプト記の中でかつてイスラエルの人々がシナイの荒れ野を彷徨って空腹だった時に神様が天からマナを降らせたことを引き合いに、人は(自分たちが得ていると確信しているような)パンのみで生きているのではない。神様の恵みによって生きているのだという脈絡を読込むように示しています。


 この出エジプトの脈絡を裏打ちするように、主イエスは、「わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。神のパンは、天から降ってきて、世に命を与えるものである。(32-33)」と言い、今度はマナではなく神のパンとして与えられる主イエスが私たちの命の糧として、物質世界で得られないようなこころの充足を与え、人間として豊かに生きることができることを示したのです。


 「わたしをお遣わしになった方の御心は、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることだからである」とありますように一人一人が価高く神様に伴われ救いを与えられるとの示しがあります。

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