2011年3月20日 の説教



 聖書

ルカによる福音書 7章1〜10

説教要旨   ここには敬虔な百人隊長が出てきます。ローマの軍隊の末端組織の長でありますが不思議と聖書に出てくる「百人隊長」は信仰あつい人物として描かれることが多い。主イエスの十字架を見上げて、この人は本当に神の子だったという真実な告白をしたのも(マタイ2754)、使徒言行録に出てくる敬虔なコルネリウス(使徒102)も百人隊長でありました。

 さて、この百人隊長の部下が病気で死にかかっていた。この部下という言葉はもともとは僕(奴隷)という意味であります。しかしこの部下のためにイエスのことを聞き及んでこの隊長はすぐさまユダヤの長老たちを使いにやり、部下を助けに来てくれるように求める訳です。大変部下思いの心あついことです。長老たちもイエスにかけあい、あの方は「ユダヤ人を愛して会堂を建ててくれた」(4)という。普段ならば異邦人との接触を忌み嫌うユダヤ人でありますが、末端組織といえども偉大なるローマ帝国の軍隊長がそれに比べて小さな力弱い自分たちの宗教のために会堂を建ててくれるなどということ自体、ユダヤ人を愛し大事にしてくれた証であります。彼らにとってはこの上なく嬉しいことだったでしょう。

 さて、主イエスはしかし、こういうユダヤ人に対する好意の面から百人隊長を見ていたのではありません。むしろ彼の信仰を見た。それは百人隊長が主イエスに来てくれることを願いながらふと思い返し、自分のような相応しくない者の要求でわざわざ主イエスを来させ煩わせてはならない。主が一言命令すれば聖霊が遣わされ自分の部下を癒されるのではないか、という思いと信頼に立って主イエスにその心を伝え、願ったことです。これはゲツセマネの主イエスの祈り(マタイ2639)でも、十字架を前にして死にたくないとのイエスの人間としての願いではなく、神のみ心のままにと思い返された主イエスの心と通じ合うものがあります。

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