2011年3月20日 の説教



 聖書

ルカによる福音書 10章17〜24

説教要旨   この17節で、主イエスにより派遣された72人が「主よ、お名前を使うと悪霊さえもがわたしたちに屈服します」と喜びました。同じ福音書の827節にはゲラサの悪霊憑きの男の話しがありますが、この男にとり憑いた悪霊はイエスに向かい「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ」と頼み、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないように懇願したとあります。イエスの名そのものにも、悪霊を震え上がらせる圧倒的な力があったのでしょう。

 
この喜び勇む72人に対して主は「悪霊があなたがたに服従するからといって喜んではならない。むしろあなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」といわれる。クリスチャンの生活は喜びの生活です。テサロニケの信徒への手紙Tの5章16節にいつも喜んでいなさいとあるように、恵みを見出し喜びを見出す生活です。しかしその喜びなさいという言葉を見失ってしまう。「天にあなたがたの名が書き記されていることを」忘れ去ってしまうのです。自分たちの名が天に記されていることに幼子のような信頼を託すことができない私たちの現実がある。

 21節以降で主イエスは、聖霊によって喜びにあふれて、「幼子のような者」に示された幸いを語りました。イエスの名を使うことを許可されることによって、天の権威をこの人々に分かち与えた。それは神様に「幼子のように」信頼する心をもってそう示されるのです。コリントの信徒への手紙Tの126節以降でパウロが示しているのも、知恵ある者、力ある者が選ばれるのではなく、無学な者、無力な者を選ばれたという表現を通して、人間が神の前に誇ることを戒め、神に素直に信頼する者としてのありようを示されるのであります。「幼子のように」もまさにそのような神への信頼の表現であり、イエスの名によって自分がおごり高ぶるのではなく、神に完き信頼を寄せつつ、神様に(天に名が記されていることを通して)受け入れられている喜びをもって歩むよう促されているのです。

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