2011年3月20日 の説教



 聖書

使徒言行録 2章37〜47

説教要旨   この37節に、「人々はこれを聞いて大いに心を打たれ」とあるのは、別な翻訳では「心を深く抉られた」とあるのです。そもそもの原語が突き刺す、という意味の言葉で、実際にペトロの説教を聞いたこの人々は大変困惑し「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」とうなだれたのです。ペトロが「あなたがたが」「主イエスを」十字架につけて殺したのだと指摘したためでした。実際イエスの十字架の周りにいたユダヤ人たちは、大祭司らの扇動にあって、殺せ殺せと口々に罵った。それを遠巻きに見ていた人々、さらには後日聞きつけた人もいたことでしょう。しかし誰もが十字架の前では無関係ではない(話している当のペトロさえもが)ことを示して、ペトロは罪を深く悔い改め、赦しを求めるよう教えています。

 人々がペトロの説教によって心を深く抉られた、その傷は、まさしく十字架の上で槍で脇腹を突き刺された主の傷跡と同じです。自らの心に深い痛みを覚えることで、私たちはむしろ主イエスの十字架と向かい合い、この差し向かいにより、自らの闇、罪の痛みを悔い改めによって赦され和らげられ、聖霊による癒しと新しく生まれ変わった歩みを導かれることができると信じます。


 イエスを十字架につけた邪悪なこの時代から救われなさい、とペトロは締めくくります。その時代は我々のこの時代と無関係ではない。邪悪な時代の罪深さは私たちのこの抉られた痛みそのものでもあります。しかしここに全ての人に(神への)畏れが生じ、悔い改めと真心をもって心を一つにし、喜びへと向かう人々の姿が示されています。この人々のありようこそは、このぎすぎすした世知辛い隣人関係が渦巻く現代の中で、私たちの傷ついた心を真実に癒し、愛の深い次元へと導いてゆきます。

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