2011年3月20日 の説教



 聖書

ルカによる福音書 8章40〜56

説教要旨   会堂長であるヤイロという人がイエスさまのところにやって来て、その足もとにひれ伏しました。娘が死にかかっているので助けて欲しい、というのです。本日の箇所には更にイエスの衣に触れた女性もまた、主の足もとにひれ伏します。もうひとつこの二人に共通のことは、12という数の示しであります。ヤイロの娘の歳は12歳、イエスの衣に触れた女性は12年間、出血が止まらず、すっかり財産を失ってしまいます。本来ならばイスラエルにおいては喜ばしき数である12という年の巡り合わせにおいて、このような苦難と絶望の淵に立たされた二人の物語がこの場面に合わされているのです。

 主イエスが到着する手前にヤイロの娘は亡くなりました。しかし主は集まっていた人々に「少女は死んだのではない。眠っているのだ」と言い、あざ笑われました。主イエスの言葉に信頼する者はこのところにはいなかったのです。しかし主イエスは「タリタ・クム」と呼びかけて、死んだはずの少女を蘇らせました

 主イエスは会堂長ヤイロに「ただ信じなさい」と求められました。「ただ」というギリシア語はモーノーン、例えば英語でモノローグというと、一人芝居や独白というように、ただ一人立つことを意味します。ここではモーノーン・ピスティス「ただ一人、信じること」であります。神様に信頼し、たとえ一人であっても、一人となっても、反対者や批判者が山ほどいても、神様の前に揺ぎ無く立つ信仰を意図します。あなたは誰もが少女は死んだ、と決めつけるこの状況の中で、ただ一人信じなさい、と主は励ましたのです。出血の止まらぬ女性が医者をたらいまわしにされ、匙を投げられても、主イエスならば私を助けて下さるという一抹の信頼願いをもって主にすがったこの女性を優しく認めて「あなたの信仰があなたを救った」とたたえたのです。

礼拝の説教一覧へ戻る