2011年3月20日 の説教



 聖書

ルカによる福音書 17章11〜19

説教要旨   聖餐式の制定の言葉には、感謝の祈りをささげてパンを裂き「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われた主イエスの言葉があります(第一コリント11章24節)。「記念として」と主イエスは言われた。パンはイエスの体、葡萄酒はイエスの血だとおっしゃった、それを通してイエス様のことを思い起こすことを示されたのです。イエス様のことを思い起こす、といっても普段まるっきりそれを忘れている訳じゃない。しかし、例えば人と争うとき、世の中の仕事に忙殺されているとき、心が塞ぐとき、世の楽しみに心を奪われるとき、私たちは主イエスを忘れる。記念というのは「思い起こしなさい」と言うことです。確かに人間は忘れやすい存在です。

 
今日の出来事の中で、重い皮膚病を患って辛い思いをしていた10人の人がいた。恐らくこの
10人はその病のゆえに隔離されひとまとまりにされていたのではないか。イエス様に「憐れんでください」と嘆いて求めた彼らに、主イエスは癒しを行い「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。そうすることで、祭司にもう病気ではない、と認定されたら、もともとのコミュニティーに復帰できるのです。辛い差別偏見から解き放たれて、もともとの場所に帰れる。それは病から解き放たれるとともに、人々の偏見からも解き放たれ、家族、友人、職場、財産、人間として生きる権利を取り戻した、そういう彼らの記念日です。にもかかわらず、主イエスのもとに感謝しますと言って戻ってきた人は1人だけだった、ということです。彼らは主イエスのことなど頭になく、全ては忘却の彼方に行ってしまっています。ただ私たちにとって救いなのは、たった一人、主イエスを忘れずに戻ってきた人がいた、ということです。忘却の彼方に行ってしまった9人、それは私たち現実の人間の姿ですが、このたった一人もまた信仰者の一つの姿である。「あなたの信仰があなたを救った」と主イエスに評され祝福された信仰者の姿の一つが、私たちを励ますのです。

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