2011年3月20日 の説教



 聖書

ルカによる福音書 7章36〜50

説教要旨   本日の箇所で、主イエスはあるファリサイ派の人から食事に招待されていますが、そこに一人の女性が近づき「泣きながらその足を涙でぬらし、自分の髪の毛で拭い、イエスの足に接吻して香油を塗った」のでした。この女性は罪深い女性であるとルカによる福音書は示しておりますが(37)、その時ファリサイ派の人は心の中で、もしイエスが預言者ならば、この女性の正体を見抜くはずだ、そしてその後イエスはどう対応するだろうか、これは見ものだ、と心の中で思っていたのです。それはファリサイ派(分離主義者の名で呼ばれている)とは「きよめ」ということを重んじ、罪、汚れから自らを分離する者であることから、罪深い者のことを忌み嫌い、分け隔てするからです。

 
もちろん主イエスはこの女性のことをよく分かっておいででしたが、むしろこういうことを心の中で思っているファリサイ派のことも見抜いておられました。そこで、41節以降である金貸しから借金をしている二人の人の譬えを話されます。金貸しは二人の借金を帳消しにする。多く借金を赦された方が、より深く金貸しを愛するに違いない、との譬えの解き明かしを共に確認したうえで、ファリサイ派はイエスに足を洗う水もくれなかったが、この女性は心から懇切丁寧にイエスの足を洗ってくれた、と示し、この女性は多くその罪を赦された証に、わたしをこのように愛してくれた、と語りました。女性が主イエスに罪の赦し、罪からの解放を求め、そのしるしとして、行った精一杯の愛の示しを神様は大いに受け入れ、赦し解き放ってくれる。たとえ人間世界が、ファリサイ派がこの女性を赦さないと構えても、主イエスが、神がこの女性の側に立ち、愛の心を教え示すのです。

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