2011年3月20日 の説教



 聖書

ペトロの手紙 3章13~22節

説教要旨   広島では6日、長崎では9日原爆投下から66年の原爆の日を迎え、そして明日8月15日に終戦の日を迎えます。今年は3月11日に東日本大震災が発生し、福島第一原発は津波による甚大な被害を受け、放射能汚染の影響を及ぼしています。66年前と今日とを真直ぐに結ぶ線、原子力エネルギーを巡って日本中が揺れています。

 本日のペテロの手紙は、3章13〜17節において迫害のもとで苦しんでいたキリスト者共同体に対してキリストの苦難に積極的に参与するキリスト者の生き方を歩むようにと勧め、18〜22節において信仰告白とノア物語を通して洗礼による恵みを想起させ終末の希望を確信させています。21節で語られる「正しい良心」とはどのような意味なのでしょうか。「良心」とは一般に「何が善であり悪であるかを知らせ、善を命じ悪をしりぞける個人の道徳意識」を言います。この「良心」と聖書で言われる「良心」とは違うのでしょうか。同志社を創立した新島襄の神学は2つの中心をもった楕円であって、一方に「良心」が、他方に「キリスト教信仰」があるとされています。この良心は「キリスト教信仰」によって相対化され常に比べられますので、キリスト教信仰という基準が良心の弱さをカバーします。もともと「良心」という言葉の概念はギリシア思想に起源を持ち、「共に知る」ことを意味するシュノイダという動詞から派生したものです。「正しい良心」とは、自分の理想を相手に押し通すことではなく、「神様の前に相対化されたときに正しいとされる良心」となります。

 日本中が揺れている今、改めてこの国の良心というものが再構築されるべき時期に来ているのではないでしょうか。考えるべき根本的原因は人の良心にあると思います。その意味では未だにこの日本は、新島襄が訴えた知識だけでなく良心をも備えた人物が少ないと言わざるを得ません。今一度、私たちも「正しい良心」を神様に願い求め、この地上が私たちの子孫が生きて行ける場所でありつづけるために、神様の御前に「正しい良心」を身につけたいと思います。   (小岩 輝)

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