2011年3月20日 の説教



 聖書

 ルカによる福音書 147~14節

説教要旨   本日の聖書で中心となるのはルカ1411節「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」イエス様がこうおっしゃった背景にはもちろんファリサイ派や律法学者の日常が覆い被っていました。マタイによる福音書23節の「彼らは、宴会では上座、会堂では上席に座ることを好む」との言葉は彼らのありようを指摘しています。本日の148節のところでも「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない」とあるのはそのことを念頭におかれるのでしょう。あなたがたは、そういう人々のありようであってはならない、と。12節以降の後半の示しにおいても、この11節の言葉が中心になります。

 
ところで・シュヴァイツアー博士は、「生への畏敬は個人に、世界への関心を放棄することを決して許さない。たえずそれは個人に、かれを取り巻くすべての生命にかかわりあい、それに責任を感ずるように強いる」と語っています。ここからかの博士の博愛主義という言葉が生まれました。どんなに小さな生命であっても、そこに神様の創造の御手が働かれ、生命として慈しまれ、祝福されていることを思わされるのです。

 
婚宴で上席を求めるありようとは、生存競争という過酷なまでの生き方の問題なのです。われ先に、われ先にという生き方の問題。それが過酷な社会システムの問題となり、人命を損なう事故が起こる。われわれは、あらゆる面での効率化を競わされ、その狭間に息を潜めてひっそりと生きている。そういう生存競争と効率化は、非人間化、というプロセスを生み出す。そういう世界に私たちは生きているのではないか。

 
11節の言葉は、むしろ私たちに必要な生き方は、謙虚さではないか、と教えるのです。神様はこの謙虚さ、へりくだる生き方を示す。その謙虚さの中に生きようとする者の心のありようが神への従順、また神の御業である全ての生命あるものを慈しむ心であることを示されている。神様が全ての生命あるものを慈しむ愛の尊さをもち日々を歩むよう教えられるのであります。

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