2011年3月20日 の説教



 聖書

 ルカによる福音書 16章1~13節

説教要旨   「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない(13節)」という主イエスの言葉は、「不正にまみれた富で友達を作りなさい(9節)」という言葉や「不正にまみれた富について忠実でなければ(11節)」という言葉と矛盾する感がある。そもそもこの譬え話自体の内容が「不正にまみれた富」をうまく取り扱った抜け目のない管理人が讃えられるそういう話なのです。これをどう理解すればよいのか。

 この譬話の不正な管理人はその主人の財産を不正に利用しごまかしていたことを咎められ、その職を解かれる窮地に立たされています。そのとき彼は金を持ち逃げすることだって可能だったはずでしたが、むしろ金は手立てとして使い、恩を売って自分の仲間(友達)を増やすことを重点に考えた。金に頼らず、友に頼った。そうすれば、いざ自分が追い出されても助けてくれるだろうと考えたのです。そして、その手際のよさは当の主人からも褒められることであったという訳です。


 この管理人は、金に頼るあり方をやめた。今や追われる立場になった彼はその時、金よりも肝心なこと、大事なこと()に気がつき、仲間を作り人脈を築きあげた。それを主イエスは
「不正にまみれた富で友達を作りなさい」というユニークな感覚の言葉で言うが、それは不正な方法を奨励しているのでは決してない。これは主イエスの弟子たちに語り聞かせている、一つの逆説的な問いかけなのです。イエスのこの弟子たちは「主イエスの権威」を笠に着て、祝福や癒しを求めて来るこどもや病人を追い立てようとしたり、誰が一番偉いかという議論に拘泥する、そういう人たちであって、そういう場面は聖書に実に多く出てきます。それで彼らが主イエスの権威という正統性を誇るならば、「不正」はその逆を行く言葉であり、金にも権威にも頼らないあり方に豊かさを求めよという脈絡の中にこそ本質があるのです。


 「友」という言葉では、私たちは主イエスが私たちを「友」と呼んで下さったことを思い起こしますが(ヨハネ1514)、その言葉は、自らの深い罪に悔い改めをもって、金や権力に拘泥することなく、ただ神への信頼をもって従いゆく、主イエスの真実の友として歩むよう私たちを励ます言葉として響きます。

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