2011年3月20日 の説教



 聖書

 ヨハネによる福音書 3章13~21節

説教要旨   ヨハネによる福音書3章16節はマルティン・ルターの小聖書(ゴールデン・フレーズ)とも呼ばれる主イエスの言葉ですが、そもそもイエスとニコデモの対話の一部なのです。それはニコデモに問われていたことの答えということです。

 
ニコデモはファリサイ派のリーダーの一人で、ユダヤの最高立法府であるサンヘドリンの議員の一人でした。その彼が人目を忍んで、夜こっそりとイエス様のところにやってきた。ファリサイ派というのはいつもは聖書の物語の中では、とかくイエスさまと対立する敵というイメージが強いのですが、彼は真理を求める純粋な心で、主イエスのところへ来た。ニコデモが訊ねたかったのは、イエスのなさるふしぎな業の力の源でした。どのようにすればあのような力を発揮できるのか。まさしくそれは彼の推理しているとおり「神が共におられるのでなければ、・・・だれも行うことはできない」。ではどのようにして、神と出会われ、神からその力を授かったのか。これがニコデモのもつ疑問でした。ところがイエス様はそれに対して、「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。(3節)」続いて「・・・だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。(5節)」

 ここでイエス様が言われたのは、
私たちは肉から生まれながら、肉としてとは違う生き方をするべく新たに生まれる。生まれ直す、といってもよいかもしれない。人間の肉の人生は、苦しみ、悲しみ、病気、貧困、差別、罪悪。神様へ立ち返ることをしない人間の思い上がりによる生き様であり、それが多くの不平等や戦争、争い、殺人、誹謗、中傷を生み出す。しかし肉そのものを否定するのではなくて、そこに重ね合わせるようにして霊における新たな誕生をする、ということであります。主イエスの説かれていた神の愛による生き方は霊から生まれなさいという言葉とピタリと合わさるようにニコデモの心に響いたことでしょう。

 後に十字架におかかりになったとき、多くの主要な弟子たちは主イエスを見捨て去りましたが、死に果てた主イエスの遺体の前に駆け寄り、丁寧に亜麻布で包んで埋葬したのはこのニコデモでした(19)。その時きっと彼の心には、新たに生まれよとの主の言葉と「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」と語られた主の復活の約束が思い起こされたことでしょう。

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