2011年3月20日 の説教



 聖書

 ヨハネによる福音書 8章51~59節

説教要旨   イエス様がユダヤ人たちに51節の「わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない」と言われた言葉は、彼らに少なからぬ混乱をもたらしました。しかしこの段で主イエスは人間の発言としては思い上がってそう言った訳ではありません。それは「わたしは、自分の栄光は求めていない」という50節の言葉に表れている通りです。

 今日は永眠者記念の礼拝ですが、これまで礼拝に連なり、主イエスの命の言葉の信仰をともに守ってこられた私たちの先達たちは、主イエスの言葉に立ち歩み「その人は決して死ぬことがない。」と主イエスに祝福された人たちなのです。


 J.S.バッハはその生涯に1000曲以上も作曲した音楽家ですが、いつも作曲した楽譜の最後にソリ・デオ・グローリアを表すS.D.G.という文字をサインしました。「神にのみ栄光あれ」という言葉です。そしてこれはバッハの音楽の根底に流れている敬神なる信仰の思いであって、その気持ちをいつも忘れずに作曲している、という表れだと言われますし、「自分の栄光を求めず」という主イエスの言葉に重ね合わせるようにして自分の道のりを歩んできたということだと思います。私たちもそれが最も神に喜ばれる道だということを分かっています。それでいい。そのようにまっすぐに私たちの道をいけばよい。そう思います。

 しかし「死ぬことがない」と言われ混乱したユダヤ人たちは主イエスを「いったいあなたは自分を何者だというのか」と問います。それは多くの死に関わってきた、最も深いところからでる我々人間の魂の叫び、悲しみの経験の中からの叫びであろうことは否めません。ですが、彼らは自ら十字架の死によって世を救わんとされる神の御心に向かい合うことを忘れている。最も罪深い人の世に降り立ち、罪の贖いを成し遂げんとした神の子主イエスの立ち歩みを理解しようとはせず、その神に栄光を帰することに思い及ばなかったのです。

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