2011年3月20日 の説教



 聖書

 ヨハネの黙示録 1章4~8節

説教要旨   さて、今日は幼児童祝福式と収穫感謝の日ということでの礼拝のお話です。この秋にはいっぱい木の実が落ちています。ドングリやシイの実を、みんなもアッと思って拾い集めることもあるでしょうね。教会の玄関の前にも赤い実がよく落ちています。これは花水木の実、ルビーのように赤い実です。宝石のようだと思うほど綺麗な色をしています。自然の恵みの色です。神様がこの世界をつくられました。空の鳥も野の花も、緑の自然の木々もみんな神様がおつくりになって、人間にこの世界でくらしなさい、と整えてくださった。この恵みを思う時に、神様がどんなにこの世界で生きていく人間を祝福してくださったか分かる気がします。

 今日の聖書には「わたしはアルファ(Α)であり、オメガ(Ω)である。」とあります。それは最初と最後、はじめと終わりという意味です。この秋には、木は枯れた訳ではないのに、葉っぱは枯れて散っていくのは何故だと思いますか。それは木が実を生み出すためです。この木の実は新しく生まれてくる命です。みんなも、おぎゃあ、と生まれて赤ちゃんだったんだね。そうしてドンドン、バンバン成長します。木の実は赤ちゃんみたいなものです。そしてこれが土の上に落ちるとやがて芽を出して新しい木になる。そういう実を生み出すために、最初緑の葉っぱが出てきて、花を咲かせて、木の実が出来たら、葉っぱは役目が終わって枯れて落ちるんです。もし葉っぱがいつまでも残っていたら新しい木の実は生まれません。新しい命が生まれません。イエス様は、一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。と言いました(ヨハネ12章24節)。自然の木や草は最初生まれて、そして最後には死ぬ。そういうふうにして、新しい命を生み出すのです。みんなも、みんなのおとうさん、おかあさん、おじいちゃん、おばあちゃんも年をとり、この世での命を終わります。いずれはこの木の葉のように生き生きと生きて新しい命を生み出しやがては命を終えるんです。でも神様は私たちの最初と最後一切を全部をしっかりと守ってくれる。イエス様はそういう神様として私たちに十字架で愛のお姿を見せてくれたのです。神様がいつもいつも私たちを守ってくれる。十字架からイエス様は復活する力をみせてくれました。死んでもよみがえる、もとのとおりに復活するそういう力を神様はもっている。だから私たちの全てを神様は守れるんです。やがて枯れて落ちる葉っぱも新しい命を生み出すために大切な命だった。そういう一つ一つの命を大事にしたいと思います。神様が私たちの最初から最後まで守ってくれる。そういう神様を大事に思って日々を過ごしたいと思います。

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