2011年3月20日 の説教



 聖書

 ヨハネによる福音書 1章19~28節

説教要旨   教会暦でアドヴェント(待降節)というのは、英語のアドヴェンチャーなどの言葉と語源的な関係があることはよく言われることですが、それは冒険、危険を伴う事柄を承知で前進する、という事柄を通して、救い主のお生まれとは、とても危機的な状況の中の誕生であったことを思うものであります。例えばマタイによる福音書2章13節以下では、ヘロデ大王が幼子イエスの命を狙っていた事情が記されていますし、1章18節以下で、もし父ヨセフに天使のお告げがなかったならば、ヨセフは恐らく正しい人(つまり律法に忠実な生き方)として行動し、マリアを離縁していたことでしょう。マリアの幼子イエスを連れてのエジプトへの逃避行は土台無理だったに違いありません。そうなれば幼子イエスを狙う魔の手は着実にその命をとらえていたことでしょう。キリスト誕生にまつわる危機的な状況というものを想起しながらこの時期クリスマスまでの日々を過ごし待ち望むといった意味が強く表れるのであります。

 本日このアドヴェント第三の聖書日課はヨハネ福音書1章19節以下ですが、ここには主イエスの道備えを為す者としてのバプテスマのヨハネにまつわる危険が示されています。それは何の変哲もないような「あなたは、どなたですか」(19節)との祭司やレビ人たちからの質問によって始まっていますが、実はここには大きな罠がありました。当時の状況をフラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』(ⅩⅧ:116‐119)は、ヘロデ・アンティパス(ヘロデ大王の息子)が次第に人気の高まるバプテスマのヨハネの影響力が騒乱へ発展することを恐れたために先手を打ってヨハネ殺害を企てたと解説しています。しかしヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と(23節)」示します。

 中近世の頃カトリック勢力との戦いの中で宗教改革の闘士であった讃美歌作家フィリップ・ニコライはある時点から自身の戦いをシフトさせ、ペストの脅威にさらされたウナの街の人々への慰めと励ましを歌うようになります。讃美歌230番「起きよと呼ぶ声」は、ペストによってバタバタと倒れ、死を待つ人々の魂の慰めを語りかける歌をつくった。この死の危機の状況の中でこそ人々を救う神への思いを高め、その励ましの声に聞くそういう彼の讃美歌がクリスマスによく歌われるようになったのです。

 ヨハネは、自分はメシアではないが、来るべきまことのメシアは人々に慰めと励ましに満ちた救いを与える主である、として、人々に呼びかけ、来るべき方のために道を備える荒れ野の声としての自らの役割を負ったのです。

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