2011年3月20日 の説教



 聖書

 ヨハネによる福音書 6章1~15節

説教要旨   今日の聖書の場面では、主イエスは5000人の人々にパンと魚を分かち与えたという、見事な奇跡を行いました。パンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた(11節)とあります。こうして全ての人々が満腹したのです。この「感謝の祈り」は英語では、「ユーカリスト」という言葉で「聖餐」という意味でも使われます。それは感謝の祈りをもって分かち合う食卓であった。

 しかし弟子の一人アンデレは「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれどもこんなに大勢の人では何の役にも立たないでしょう(8節)」と言いました。パンと魚という恵みの原資が備えられているという事実に素直に喜べなかったのは、大麦のパンが当時家畜の餌に供されていたということも関係しているかもしれない。更に皆の問題は祈り与えてくださる主イエスがいるのにイエスに頼ろうとしなかったことです。神様に祈ろうとしなかったことです。

 荒れ野で40日間断食し空腹になられた主イエスに悪魔が「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ(マタイ4章3)」と迫る場面がありますが、イエスは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きると書いてある」と言い返しました。自ら空腹であったにもかかわらず奇跡はおこされなかった。本日と対照的な場面です。自分の欲望の為ではなく、他者の為、そして自らの生き方の為に私たちは神の言葉に信頼して祈らなければならないことを教えられるものです。

 イエスは弟子たちに「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われました(12節)。一つも無駄にならないように、と集められたパン屑の籠は重かったことでしょう。ヨハネ3章16節には「独り子を信じる者が一人も滅びないで」とあります。この言葉は、本日の「少しも無駄にならないように」と同じギリシア語が使われ、6章39節での「わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させる…」との脈絡を保ちます。

 聖書は、主イエスが私たち一人一人に、パン屑のいっぱいになった籠を手渡されながら「一人も滅びないで」「一人も失わないで」おひとりおひとりをお救いになる神として私たちを招くのです。神様の眼からしたら一人一人の人間は値高い。尊い。欠け多い私たちが罪深さの中に滅びようとしているのを神様は黙って見てお過ごしにならない。み言葉をもって、愛の救いの手をたむけられます。私たちも主イエスのこの祈りのこころにあつく触れゆきながら、共に祈りつつ神の愛たむけられた道をともに歩んで参りたいと願います。お祈りをささげましょう。

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