2011年3月20日 の説教



 聖書

 ヨハネによる福音書 6章60~71節

説教要旨   この日曜日(3月11日)は東日本大震災からちょうど1年となりました。

 さて主イエスはご自身のことを「命のパン」だと表現されました。そしてご自身の肉と血をパンとぶどう酒に例えられ、これに与ることによって永遠の命が得られる、と示しました(ヨハネによる福音書6章48-57節)。意図を理解しない主イエスの弟子たちは「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか(同60節)」と罵り「多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった(同66節)」。この「ひどい」という言葉は、もとのギリシア語では「固い」という言葉で、そこから耐え難い、噛み砕けない、かたくななという意味合いが生じたのです。そうして、だれが、こんな話を聞いていられようか、と言って主とともに歩まなくなる。もう関係を切ろうとしているのです。

 しかしこの言葉を受けて主イエスは61節で「あなたがたはこのことにつまずくのか」と言い直しています。この言い直しはとても重要で、「つまずく(スカンダロン)」はもともと足をとられてつまづいてしまうような石のことを意味します。弟子たちはイエスのことを切って捨てようとしたけれども、主イエスは、あなたがたには「今つまずきの石があるだけなのだと」言い換えている。イエスの言葉、神の言葉を捨て去ってしまったら、もはや弟子たちはイエスと関わりのないものとなってしまう(事実十字架の前から見捨てて逃げ去ったのですが)のに、主イエスはたといつまずき倒れても神のみ前に立ち上がることができる、そういう人間存在を見据えています。

 私たち信仰者にとっても神様の辛い言葉はいっぱいあります。理解不能に思える言葉もある。それをイエスに投げ返したくなるのも人情だろう。それでも神は私たちと関わり続ける。倒れている者に終始関わり続けるのが神の姿であるならば、今なお東北の被災者の方々とともに神はあり、み言葉を通して勇気づけ励まし続けてくださる。 
私たちも被災者の方々が立ち上がるための支援をするとともに、それをみ言葉の宣教をもって支え続ける東北の諸教会のために力ある応援を続けたく思います。

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