2011年3月20日 の説教



 聖書

 ヨハネによる福音書 12章12~16節

説教要旨   13節の「なつめやし」「ホサナ」「来られる方」という全てが「救い」と深く関わっている言葉です。ところが救いに関わる言葉の脈絡の中で、「イスラエルの王に」という言葉は突如躓きを与えるように思われます。イエス様が誕生なさったとき、ヘロデ大王が非常に深く追及し、イエスの命をつけねらったのは、イスラエルの新しい王がお生まれになった(マタイ2・2)という評を耳にしたからでした。またイエスの裁判でピラトが「お前がユダヤ人の王なのか(ヨハネ18・33)」と問う言葉でもある。更には十字架での場面で、兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、紫の服をまとわせ、そばにやって来ては、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、平手で打った(同19・2-3)。十字架の上に掛けられたピラトによる罪状書きはやはり「ナザレのイエス、ユダヤ人の王(同19節)」でした。

 本日の「イスラエルの王」と叫ぶ民衆の声にも、ヨハネ6・15でイエスを王にしようとした群衆と同様に政治的なメシアを期待する民衆の姿がうかがえます。しかしヨハネの福音書は、王の乗る軍馬ではなく、いと小さき者たる平和なろばの子に乗られるイエスの姿を描いています。結果として民衆の期待するメシアに対してイエスの使命とするまことのメシアの姿を際立たせています。

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