2011年3月20日 の説教



 聖書

 ローマの信徒への手紙 8章28~39節

説教要旨   5月第二日曜日は母の日として、普段支えてくれるお母さんの苦労をねぎらい、感謝する日ですが、この経緯として、奉仕者ジャービス夫人の娘のアンナが定めたことはよく知られていますが、古くはヨーロッパで17世紀頃、遠くに奉公に出された子どもたちが、年に一度、母親と面会することが出来た日としても知られています。状況は違いますが30年間母親と離れた暮らしをした者として、私はむしろ後者の由来が心に響きます。

 古代の神学者アウグスティヌスはその著書「告白」の中で母モニカとの死別を、母の死によって自分と母は引き裂かれてしまった、と表現しました。学生時代心に留めるともなく読み過ごしてしまっていた箇所ですが、今我が身に起こったこととして再読しますと、溢れる思いを禁じ得ません。

 使徒パウロの言葉に、「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです(8章38節)」とあります。わたしたちは、キリスト・イエスの神の愛にしっかりと結び付けられていて決して何物をもそこから引き離すことは出来ない、そういう尊い絆で結ばれているというんです。

 人間の絆というものは尊くあるが、しかし悲しいことに、それは「死」というものによって、あっけなく、もろくも切り離されてしまうものであることをとても深く厳しく感じます。そこに人間、ということを感じます。人間、この限りある存在。そこではどんなに尊く、強く愛するほどに堅く結ばれている絆であっても、「死」の前ではもろくも切り離されるものなのだと。ここには、神様のご計画による、摂理を思います。歴史を統べ治める、たえざる神のみ手の働き。人と人との交わりは神様の摂理を超えることはないのであります。悲しいけれども、それは真理です。その前に私たちはあがく。私たちは苦しむ。私たちはもがく。悲しみの底に沈みこむ。

 けれども、私たちは全てから切り離されたのではない。神様が決して切り離さないキリストという愛の絆で結んでいてくださる。私たちにはキリストを遣わした神がある。そこでパウロが言うように、何者も主キリスト・イエスの神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。

礼拝の説教一覧へ戻る