2011年3月20日 の説教



 聖書

 ヨハネによる福音書 6章16~21節

説教要旨   ガリラヤ湖の向こう岸のカファルナウムに行こうとした弟子たちは船に乗ってこぎ出しましたが、この時主イエスは乗り合わせていませんでした。ところが弟子たちが乗った船はここで嵐に出くわすのでした。25~30スタディオン漕ぎ出したころで、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、彼らは恐れた、とあります。それはとてつもないこと、人間には思い及びもつかない、一つの奇跡としか言いようのない力の示しであります。そのような姿を見たときに弟子たちだけではなく、我々も大いに恐れをもつものです。しかしこの出来事から本当に受けとめるべきことは何でしょうか。 

 かつてエジプトの奴隷にされていたイスラエルの人たちを率いてエジプトを脱出したモーセでしたが、カナンに向かう途上のメリバで、水・食料を求める民の不満がモーセに迫ったとき、モーセは神の示したのとは別なやり方で、この欲求解消に臨んだのです。奇跡は起こり水は出ましたが、神は「あなたたちはわたしを信じることをせず、イスラエルの人々の前に、わたしの聖なることを示さなかった」と怒りました(民数記20章)。その意味は奇跡の前に、神を神とする信頼と、人間の力の装いに対する否、というか、謙虚さ、謙遜さが必要だということです。神への信頼をなおざりにし、自らの力頼みとする。

 同じ出来事を記載しているマタイ福音書14章では主イエスの真似をして、湖を渡ろうとするが沈みかけるペトロを助けた主は、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と問われます。しかる後に皆がイエスに対して「本当に、あなたは神の子です」と告白することも、先のモーセの奇跡のテーマに即しています。私たちは時に疑い恐れおののく存在です。自らの力を頼みとし、神を忘れる存在です。その時に救い主は波の上にあらわれるのです。奇跡そのものが輝くのではなく、そこにある神と人との信頼関係が輝く時です。

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