2011年3月20日 の説教



 聖書

 ヨハネによる福音書 10章1~6節

説教要旨   イエス様はヨハネによる福音書の中で、「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である(10章1節)」と示されました。羊の囲いに入るため、この強盗は門を通らないでほかの所から乗り越えてやって来る、と言います。それは羊飼いではないしるしです。羊飼いならば2節にありますように門から入る。門には門番がいて、羊飼いとしての認証を与える。門を通らないというやり方はこの羊たちにあらゆる手段をもってアプローチしてくることを意味します。羊の囲いに相応しくない方法で入ってくる者の譬えは、神のみ言葉、聖書のみ言葉以外の入り口から入ってくる者のたとえと示されます。

 弟子ペトロは、イエス様によき羊飼いたる道を示される時、イエスを愛しているかと問われました。「・・・イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、・・・わたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた(21章15節)。ペトロが飼うことをイエスによって依頼されているのは「小羊」、つまり主イエスを信じる人々、教会が建てられそこに集うべく導かれた教会員であります。それで牧師はパスター(羊飼い)と呼ばれる。羊の世話をする人は命を賭して狼から羊を守らなければならない。ある時には草の多いところに群れ全体を導き移動しなければならない。ある時には1匹の羊を探し出さなければならない。聖書に見られる羊と羊飼いはそういうものとしてイエス様に示されています。そういう全ては神の言葉でつながってくるのです。

 3節には羊飼いは自分の羊の名を呼び、羊はその声を聞き分ける、とありますが、しかし羊はときにその声を聞き分けることが出来ない、そういう問題がおこってくる。

 かつてナチスドイツが台頭して、ドイツを席巻し、国民の多くがナチスを支持し始めたときに、危険を感じたドイツの良心的なキリスト者たちがバルメンという町に集まって、抗議のための宣言を行いました。先のヨハネ10章1節はヨハネ14章6節「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」と共にこの「バルメン宣言」に用いられた大切な聖書の1節です。主イエスは羊たる私たちに度々、羊飼いとして警告を発するのです。羊の門たる主イエスを通れ、と。そうすれば、ここに主の声を聞き分ける心の耳が与えられます。

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