2011年3月20日 の説教



 聖書

 エフェソの信徒への手紙 3章14~21節

説教要旨   今日のパウロの祈りには、16節「どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように」とあります。ここに「あなたがたの内なる人」とある。 

 パウロはエフェソの人々について、この「内なる人」が強められることを祈っている。それも、御父なる神の霊によって、この「あなたがたの内なる人」が強められることを祈っている。なぜ、「あなたがたの内なる人」が強められればよいのか。なぜパウロはこの人々が試練や困難、苦しみに遭わせないでください、と祈らなかったのか。迫りくる迫害が教会を席巻するであろうあの時代に、苦しみに遭わせないでください、との祈りがどんなに貴重だったかと私たちは「人間的には」思います。それは切実なことだから。

 けれどもこの内なる人が強められるとは、神によって、その送られる霊によって強められるからではないか。神が共にいる。神が霊においてともにいて、あなたがたを心の底から強める。心の底の信仰に働きかけて強める。それこそが、パウロが神にあって、エフェソの兄弟たちに対して祈ることであったのではないか。

 この祈りは神様に向けられている。神様が働きかけて、この兄弟姉妹たちの内なる人を強めてくださることを祈る。もし私たちが弱肉強食の世の中で、この中で何人かが生き残ることを願うならば、それは人間的な願いでありましょう。戦い上手な、自分自身の能力に於いて上回ったものたちだけが、つまり世の中の勝ち組が生き残るであろう。パウロはそのような祈りをしなかった。むしろ人間に対する、その能力に対する期待のような祈りの方向ではなく、神様の聖霊における力を求める祈りを行った。聖霊の力で一人一人の内なる人が強められる。神がそこにいまして、共に戦い、共に慰めてくれる。喜び悲しみの極限に置いてさえ、ただ一人共にいてくださる神に信頼をするような生き方をすることを望むのです。 

 そこにおいて17節、「信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように」。「あなたがたの内なる人」にキリストが住んでくださる。私たちにとってこれほど心強いことはない。神を信じる基、その人間の心の底にしっかりと働きかけてくださるものに信頼して祈り願う。生涯に亘って、この内なる人を強めささえ保ってくださる神様の御力に深い信頼をもって、パウロはエフェソの兄弟姉妹を神様に委ねているのであります。

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