2011年3月20日 の説教



 聖書

 ヨハネの黙示録 19章11~16節

説教要旨   アンジェラ・エルウェル ハントという人の「三本の木」という絵本があります。丘の上に立つ、将来の希望をもった三本の木がありました。それぞれの希望は思っていたこととは違う形で叶えられた。一本目の木はイエスさまの飼葉桶に、二本目の木はイエス様をお乗せした舟に、三本目の木はイエス様のおかかりになった十字架に。それぞれ地上の権威に関わるものになりたいとの思いは、それぞれがそれを越える王の王、救い主、神の子であるお方と関わるという神様のはからいを悟りゆくという話です。

 今日のヨハネの黙示録には、イエス様の様子が示され、イエス様は「誠実」と「真実」と呼ばれる。王の王たる冠される方であるが、十字架につけられ血を流された、と示されています。私たちはイエス様に人生の誠実さ、真実さを見させていただく。人々の罪のあがないのために十字架にかけられ、その死に至るとき、従順に神様に従っておられました。

 ある意味で三本の木もまた神様のみ心に従順な木であります。そしてそれは絵本の意図によって、私たち人間のありようを顧みさせられる。私たち人間もこの木のように高い望みをもっています。誰でも自分が人生において自分がこういうふうに生きてこうありたい、という願いをもっています。それは間違いではありません。ただ神様はその願いをご自身のみ旨によってかなえてくださる。そこにこの木々のように、神様に深い信頼として託してゆきたいと願うわけです。

 渡辺和子さんの書かれた「置かれた場所で咲きなさい」という本に、人は自分の出方、他人の出方に左右されて、今の立場を喜んだり、悲しんだり憎んだりしていては、環境の奴隷だ、と書いています。それは渡辺さん自身が宣教師からもらった英語の詩にあった言葉で「置かれた場所で咲くということは仕方がないといって諦めることではありません。それは自分が笑顔で幸せに生き周囲の人も幸せにすることによって神があなたをここにお植えになったのは間違いではなかったと証明することなのです」という。渡辺さんはそれに続けて、人は辛くて咲けない時もある。そんな時は深く根を下ろしなさい。普通辛くて咲けないならば、人はもう逃げるしかない。けれども、こういうときこそ、次に豊かに咲いて、人々を喜ばせる力を蓄えておく。

 主イエスの十字架への道行きのありようは、「誠実と真実」をもってして、神のみ前に、そのみむねによって歩む者となった。主イエスも十字架という神のみ旨の前に従うことにより、この十字架での死という花を咲かせたのです。一人一人が今置かれた場所で、神様のみ心に誠実に真実に向かい合い、神様がこうして咲かせてくださった、と今の恵みに感謝して、歩みたいと願います。

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