2011年3月20日 の説教



 聖書

 ペトロの手紙二 1章16~19節

説教要旨   この第二ペトロ書で、ペトロは自分の一つの体験を物語っています。それは、彼が目撃した、荘厳な栄光の中から「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」と声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになった(第二ペトロ1章17節)というのです。そしてこれは確かにマタイ福音書17章5節でペトロが体験した出来事でした。

 この時、イエスは高い山の上で弟子たちを前にして「顔は太陽のように輝き、服は光のように白く(マタイ17章2節)」変貌を遂げられ、そこにモーセとエリヤが現れイエスと語り合っていたという。この様子を「山上の変貌」といいます。そしてこの時ペトロは感極まり「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのため・・・」と叫んだのです。恐らくペトロとしてはこの仮小屋(神に奉る神殿のような意味合い)にもてる最大の賛辞を込めた表現で語ったのです。そしてペトロとしてはそこに讃美と信心の自負を強く持っていただろうと思われます。ところが「これはわたしの愛する子」との神の声はその自負心を打ち崩すほどに圧倒的な力をもってペトロに迫ったのではないか。その時の自分の言葉や思いは忘れ去ってしまったかのように「仮小屋」のことはペトロの手紙には出てこない。むしろ自分が、キリストの威光に照らされた。神の光と神の言葉にさらされた。その事実こそが何よりも素晴らしいことであったと彼は思ったに違いない。

 今日の最後の19節で「こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなった」とペトロは語ります。しかし未だ夜は明けていない。依然暗い所にあなたがたはある。この闇というものの存在が、依然私たちのこの世、この世界の中には渦巻いている。それはキリストの十字架を取り巻く闇、罪の暗闇だと言うことが出来るかも知れない。だからキリストの言葉を心の内に、暗い所に輝くともし火として留意するように、とペトロは語り継ぎます。

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