2011年3月20日 の説教



 聖書

 マタイによる福音書 3章1~6節

説教要旨   「人間をとる漁師にしよう」というイエス様の言葉をめぐる福音書の記述の中で、ルカによる福音書は興味深いエピソードを示しています。それによると、ガリラヤの漁師であるペトロたちが、夜通し漁をしても何もとれなかったものが、イエスさまが漁をしてみなさいと言われたのをしぶしぶ受けて行ってみるとおびただしい魚がかかって船が沈みそうになったほどであったという。ペトロはこのとき「お言葉ですから…」と皮肉さえ言いました。漁師としての自分の経験に頼り、イエスがどれだけ高名なラビか知らないが、漁師の苦労も知らぬくせにと内心嘲っていたのです。漁の結果、ペトロはイエスの足もとにひれ伏し、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と告白しました(ルカ5章8節)。ペトロは主イエスの言うことを疑った。神様がおっしゃったことに口答えしたのです。ペトロはそれが間違いだったと気がついた時に、即座に自分は「罪深い者なのです」と言った。そして自分は深く汚れているとさえ感じた。だからイエス様のように奇跡を起す力ある者の近くにあってはならないと感じたのであります。神様に口答えし、疑ってかかった、そういう自分自身を許せない、と。

 洗礼者(バプテスマの)ヨハネはユダヤの荒れ野で宣べ伝え、 「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った3:2。このヨハネの「悔い改めよ」との声に呼応してエルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの地方一帯から、たくさんの人々がヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で洗礼を受けた。このヨハネは、預言者イザヤによって主の前に道を整えよ、その道筋をまっすぐにせよと示された人、主イエスの道備えをなす人であります。

 神の前に自分が罪深いと日々を悔い、救われない思いを抱いていた多くの人々にヨハネは遣わされました。そして大いなる赦しのみ言葉を示してくださる神の子イエスを待ち望む人々がこのヨハネの声に導かれています。

 ペトロも主の前に「わたしは罪深い者」と告白をなしました。けれどもイエスは天の国のありようを示すべく、このペトロを招き、人間をとる漁師にしてくださる。漁師としてのペトロのありようをそのまま赦し受け入れ、それを神の業の広がりに変えてゆかれる。ここに神の赦しの愛に基づく地平が開かれていくのです。

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