2011年3月20日 の説教



 聖書

 フィリピの信徒への手紙 2章12~18節

説教要旨   今から200年ほど前ある牧師さんが始め、世界中に広まったのが花の日の礼拝の由来です。

 ところで、お花は太陽に反応します。アサガオやひまわりを見て分かるように、太陽がのぼると花が開く、あるいはお日さまの方向に向いていく等。たいていは太陽に反応するその有様を見て思うのですが、お日様の光に素直に従っているんです。

 今日の聖書の12-13節には、「だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです」とあります。

 ここには「従順」という言葉が出てきます。この12-13節で教えていることは、神様はあなたがたの心に働きかける。あなたがたの心によびかける。それが聖書のことばでもあるのです。その神様の心のままに、あなたがたを行わせているのです。だから神様は私たちの心に語りかけてしめします。それに素直に従うこと。神様にすなおに従うことが大事だと教えられているのです。

 先程、お花の話をしましたが、お花が太陽に反応するような素直さを私たちはもっているだろうか。神様のお示しになること、神様がこうしなさい、ということ。それに素直に従っているだろうか。そう考えますと、なかなかそうではない。人間はなかなかそういう具合にいかない。

 パウロは、どんなに苦しい厭なことでも、感謝して喜ぶあり方を教えます。どんな時でも、そこに神さまの愛を見出す。

 私たちにも一人ひとりには具体的な悩みがある、つらいこと、苦しいこと、また悲しいことがある。そうした時でも、そこに神さまの恵みを見出すならば、感謝して喜ぶことができるのでしょう。そういうすなおな心、キリストの愛の心で喜ぶことは出来ないものか、感謝する心でおれないものか、と問いかけられるのです。

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