2011年3月20日 の説教



 聖書

 マタイによる福音書 6章22~34節

説教要旨   マタイによる福音書6章26節の「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか」との言葉には、自然界に生きている鳥を養ってくださる神のことを考えなさい。イエス様はこのたとえの中にそういうことを示しています。しかし私たちがついぞ人間も鳥のように制約がない生き方をしたいものだという気持ちで読むと、それは自然回帰主義のようになってしまう。鳥のように生きるならば、鳥と同じ存在となり、自然の一部と化してしまう。イエス様が「あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか」と語った真意が分からなくなってしまいます。

 旧約学者並木浩一さんは、「人間は外部世界で意味を持つ弱肉強食の掟を人間世界に持ち込んではならない」かつ「人間は外部世界の秩序に無制約に介入してはならない」と記しています。人間は自然とはハッキリと違う神の前の存在としてありつつ、同じように神に愛されている存在であると。神は自然界の鳥を愛しています。その存在を決して軽んじてはいません。しかし人間にはこの自然を支配しつつ、神の創造の秩序に従って生きる。決してその秩序を壊さずにありながら、その支配をまかされている存在なのです。

 私たちは時に自然と闘うこともしばしばあるのです。ノーベル文学賞のアーネスト・ヘミングウェイの海洋小説「老人と海」はそのような自然との格闘を描いている。しかし、その闘いの中に「人間が自然と共に生きる」というテーマがよく現れているように思います。

 私たちは神の創造の秩序の中で、精一杯人間として生き生きと生きながら助け合っていく。時に自然を愛し、時に自然と闘いながら。この震災後に生きていく私たちの仲間を私たちは応援し、支え、そして手を取り合う、そういう生き方はできないものでしょうか。

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