2011年3月20日 の説教



 聖書

 マタイによる福音書 7章24~29節

説教要旨   「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている(24節)」と始まる今日のイエスさまの譬えはとても分かりやすいものです。その逆に崩れやすい砂の上に建物を建てるのはおろかだ、とおっしゃる。建築上の常識的なことを用いて譬えています。

 この24節の出だしには「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者」ということ、つまりイエス様の教えをしっかりと聴いて信じて行う、ということが含まれます。まずイエス様に聞き信頼し、その言葉に従う者となって、実際に行う者となる。これがイエス様の求められていることです。それは、岩の上に自分の家を建てる人。土台がしっかりとしているという訳です。しかし、人間という存在は、大方そのような確たることにならない。ですから26節に、「わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者」とあります。

 このお話しは5章のはじめからの山上の説教の一部です。5章1節に「イエスはこの群衆を見て」とあるが、それは4章23節からの経緯では、ガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされたイエスの教えとわざのゆえに、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から付き従った大勢の群衆であります。イエス様はハッキリとご自身が教える者であり、またそのように行う者であることを示されました。そしてこれを聞き、受け取った人々はとても喜んだ。こういう関わり方をしてくれた人は今までいなかったからなのです。それは律法学者のように教え戒める者、またファリサイ派のように、見張っている者たちだけが、自分たち民衆を取り仕切っていた訳です。

 それで「この群衆」の人たちはイエス様に喜んで付き従っていた。けれども、26節にあるように決してイエス様は楽観視していません。それはイエス様の教えを喜んで聴いているけれども、砂地のように、ちょっと強い力が働いたら、ザーッと崩れ去ってしまう民衆でもある。

 何を土台にするか。岩の上に自分の家を建てる、この岩は「神への信頼」という土台です。「どこまでも主に信頼せよ、主こそはとこしえの岩。」(イザヤ26章4節)神という岩、そして私たちの神への信頼という岩、まさしくイエスそのものが私たちの岩であり基であり、そこへの信頼を私たちは積み上げていく。ここに恐れることも迷うことも躊躇することもありません。神様を信頼し、その愛をまっとうしたお方、主イエスに委ねること、信頼することこそ、私たちが確たる基の上に建物を建てていくこととなるのです。

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