2011年3月20日 の説教



 聖書

 マタイによる福音書 10章5~15節

説教要旨   イエスさまは、マタイ福音書10章5節以降で、弟子たちに伝道の時の心得のようなことを言っています。12節で、「その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい」と示しています。それはシャロームという言葉でヘブライ語で平和とか平安を意味する言葉です。そもそも平和の挨拶では、今この瞬間お互い無事であることをとても尊く思うものです。そしてまた会うときに会えるか人間には分からないことだけれども、互いに無事でいられるように神様にお願いしよう。そういう気持ちを込めてシャロームを交わす。ですから、これは「平和への祈り」と言った方がよいのかも知れません。

 ではイエスさまが弟子たちに「平和の挨拶」を託した意味は何か。7-8節に「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。…」つまり最も苦しんでいる人、小さな人々のために尽くし仕える。これはかつてイエス様ご自身がしてきたことです。『天の国は近づいた』と宣べ伝えるということはそもそも神様が私たちを支配している、ということです。憐れみ深い神様の愛のみ手があなたがたをとらえているよ、ということです。この言葉の下にイエスの弟子たちは立ち働いていく。神様のみ手が働くのです。それがキリストの平和、あなたがたの平和となり伝えられる。そういう伝道へと遣わされることは、旧約聖書イザヤ書52章7節の「いかに美しいことか/山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え/救いを告げ/あなたの神は王となられた、と/シオンに向かって呼ばわる。」を思い起こさせます。

 けれどもイエスさまがこの伝道を託されたイエスの弟子たちはどんな人々だったかというと、ペトロ、…ヤコブとヨハネ、…トマスと徴税人のマタイ、熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダ…。それは十字架の前で主を見捨て、また権力の座に固執し、疑い、裏切った顛末をもつ欠けと弱さをもった人々でした。

 しかしヨハネ福音書13章5節で、一人一人弟子たちの足を洗い、祝福したイエスはこの欠け多い人間ながらも真心をもって主に仕えゆく道を示します。私たちもこの弟子たちのように身一つで、存在一つで私たちは神様の祝福されている。あなたのそのままで。神様への信頼にあるあなたの平和の祈り、その心そのものが、伝道者として遣わされていくのです。

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