2011年3月20日 の説教



 聖書

 マタイによる福音書 10章16~25節

説教要旨   イエス様は、弟子たちを伝道に遣わす際の心得を前段で語り示しながら、10章16節以降で「わたしはあなたがたを遣わす」と言い「それは狼の群れに羊を送り込むようなものだ」と言った後で「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」と示しました。ここに動物でこの譬えをなさっています。その示すイメージはどんなものか。

 まず羊はイエス様はヨハネ10章14節で「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている」と示しています。羊の敵は狼だけではありません。盗人もいる。群れを気にかけない門番も信用ならない。けれどもイエス様は良い羊飼いであり、羊もイエス様の声をよく聞き分けるのであります。ここから羊に例えられているものは、イエス様に聞き分ける、従う心を意味します。「蛇のように賢く」とは創世記3章1節には「野の生き物の中で最も賢いのは蛇であった」と書かれ、賢さの象徴として示されています。従来アダムとイヴを唆した悪役、あるいは悪魔として蛇を見がちですが、例えば民数記21章4節-9節に、イスラエルの民の食べ物に対する不平に対して、神は火の蛇を送り多くの人は噛まれて死んだが、人々が過ちを認めモーセに頼んだので、神の指示通り青銅の蛇を作って、竿に掲げたとあり、これこそイエスの予型であるとされています。ここから蛇の賢さは正しい裁きの意味でとらえられます。「鳩のように素直に」は、創世記8章でノアのもとにオリーブの木の葉をくわえて帰ってきたのは鳩でした。鳩の帰巣本能をもとにこの素直さを考えるならば、それはやはり神への従順さのしるしでしょう。そのような正しさへの知恵と素直さ従順さが矛盾せず一つとなってキリストの伝道へと遣わされる。

 時に「あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである」との言葉は、紀元90-100年頃に書かれたマタイ福音書の教会のもつ迫害の経験にも実感のある言葉。「兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺す」とは、人の世の地獄を垣間見る言葉である。弟子たち一人一人の命がけの闘いに於いて、我々は様々な局面を見ることになるけれども、その痛みの経験の中にもまさって、主イエスの派遣の言葉は決して廃れず「わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」もちろん間違いもあろう、欠け多きこともあろう。けれども、キリストの愛を伝道する務めに精一杯生きて行く中で、喜びをもって遣わされていったのです。

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