2011年3月20日 の説教



 聖書

 出エジプト記 14章1~14節

説教要旨   李宣教師
 14章は、九つまでどんな災いにも、びくともしなかったエジプト人が、人間の初子から家畜の初子まで失ってしまったことで、ようやくイスラエルの民を解放させたことから始まります。

 エジプト人は、莫大な労働力を損なったことで、労役から解放して去らせてしまったことを後悔します。そしてファラオ王は、自ら軍勢を率いて、えり抜きの戦車六百を始め、エジプトの軍車すべてを動員します。エジプト軍隊が対応する相手は軍隊ではありません。武器もありません。ただ、新しい土地に向かってどんどん歩いていた一般人、民間人です。そのとき、神様はイスラエルの民を葦の海に通じる荒れ野の道にわざわざ迂回させた上で、海辺に宿営させていました。だから、後ろから莫大な軍隊をみたイスラエル人が,非常に驚いて、恐れることは当然であります。

 クリスチャンの真の姿は、私たち自身の信仰について客観的に見る姿勢です。神様がイスラエル人を海辺に導かれた理由は、神様に対する信仰がどのくらいなのかを計るためでした。そして、神様はモーセを通して、その恐れを打ち破る方法を教えています。それは、落ち着くことです。冷静になることです。後ろはエジプト軍隊が追い迫っている、前は葦の海がある、逃げる場所がないところで、殺されるしかない状況に置かれたイスラエル人に、神様は落ち着いてほしいと命じているのです。これは、前や後ろを見ることではなく、目を上げて神様をみることです。上から来る神様の力を体験してほしいということです。キリスト教とは、体験の宗教です。講壇や講義室、いや信仰書籍の中で、訴える宗教ではありません。キリスト教とは、私たちの生の中で溢れてくる生活の宗教であり、目で確認できる宗教であります。またキリスト教とは、死んでいる偶像を信じることではなく、今日も私たちの中で働いている神様の力を感じ、信じる宗教であります。今、この瞬間も、私たちの中で、働いている神様を見ているのか。13節です。「今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい」結局、武器の一つもないイスラエルが勝利に導かれます。そして、 神様の力を見たイスラエルは、心を尽くして、神様を賛美します。信仰とは、現在形です。そして神様の力を見ることです。毎瞬間、神様が見せてくださるその力を感じる、体験する時間になりますように切に願います。

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