2011年3月20日 の説教



 聖書

 マタイによる福音書 18章10~20節

説教要旨   自然界では群れから離れ、羊飼いの守りを離れた羊は死を意味します。それはライオン、トラ、ハイエナなどの猛獣の餌になってしまうからです。

 イエス様のたとえは、羊飼いは群れから離れた1匹の羊を必死になって探し出すというのですが、現実のところ99匹をほったらかしにして、1匹を探し出しに行く羊飼いはいない。けれども、ハッキリと申しまして、たとえ常識的でないにせよ、世間からは「効率が悪いとか非常識だとか」言われなじられたとしても、「一匹の羊を探しに行きなさい」ということはイエスさまのご命令だと思います。

 そしてこのご命令を聞くときに、「他の99匹のことはどうでもよいのか」という呟きや非難、批判轟々たる中で、たった一人でも良いから「いやこれが、本当かも知れないぞ」という、共感する言葉があらわれる。現れてくる。そういうことをこの譬えは期待しているのではないか。現に私たちは、キリストを信ずる信仰生活の中で、時に周囲のそういう呟きや非難、批判の中で揺れ動きながらも、キリストの言葉こそが神の真実の言葉であることを知っています。

 イエス様は、一匹の羊の友となられた。99匹の常識の中に生きるよりも、一匹の羊の友となられる道を選んだ。そして私たちにもその道を選べとおっしゃる。たとえその一匹が非常識な一匹かも知れず世のレールの上にのらない、一匹であるかも知れなくとも。

 今日の聖書の10節に「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。」とあります。「彼らの天使たち」とは「これらの小さな者の天使たち」であり、この天使はいつでも、これらの小さな者にぴたっとくっついている、神のみ使いです。そこで「彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである」とは、この天のみ使いは、これらの小さな者の様子を事細かに、一つでももらさずに、天の神様に報告をしている。そして神様の側も、いつもこれらの小さな者のことを御使いから報告を受けるほど、神は彼らのことを心に留めている。神様はそのようにいつでも、天使を遣わすほどに、執着し関心もっておられるのです。そこで18章14節の言葉「そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない」が示され教えられるのです。

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