2011年3月20日 の説教



 聖書

 マルコによる福音書 7章14~23節

説教要旨   主イエスは群衆に「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。(マルコ7章15節)」と教えられました。この意味を問うイエスの弟子たちに、主イエスは、本当の意味で「人を汚す」のは「人の中から出て来るもの」「中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来る」と言っており、「みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである(同21-23節)」と列挙して示しています。「など」とありますから、まだまだ続きはあるのでしょう。人を汚すのは、人間の心から、出て来る悪い思いのことであり、これは心の中という場から出てくる。そしてここに枚挙にいとまがないほどに悪が列挙されていく。あなた方の中に、この悪のカタログから逃れて自分は正しいと主張できる人などいるのかと問いかけるようだ。

 ヨハネ8章に姦通の現場を押さえられた女性がイエス様の所に連れてこられる場面があります。律法学者たちやファリサイ派の人々はイエスに「こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか」と詰問してくる。しかしイエスが「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と問うと、これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った、という。正義を主張する、律法学者たちやファリサイ派の人々さえ、イエスのこの言葉には、誰一人としてその場に残ることが出来なかった。みんなこの「こころ」という場に悪い思いを抱え持っている。そう理解してよいのだろうと思います。誰も主イエスの神の前に自分の正しさを主張できない。

 しかし、そういう罪人だからこそ、神様の憐れみが働く。憐れみが、決定的になる。イエスの血が私たちを清める。神の愛を信じる者はその愛の力において、心の諸悪に対して刷新を起こしていく。ここに聖霊が働くのです。神の愛の働きが起こされ、ひとりひとりが清められていく。清めのバプテスマが行われていくのです。神の恵みの働きかけは、神の言葉との出会いに於いて「こころの刷新」を起こしていくように聖霊の働きかけが、一人一人に起こされていくのです。「こころの刷新」は聖霊による刷新、「愛するこころ」の誕生の喜びです。

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