2011年3月20日 の説教



 聖書

 マルコによる福音書 7章1~13節

説教要旨   イエス様が今日の6節のところで「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。『この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとしておしえ、むなしくわたしをあがめている。』あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている」と示しています。

 イエス様はこれを「ファリサイ派の人々と数人の律法学者たち」に対して言われている。それは、彼らがイエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見てそれを咎めたからです。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか」と問いただした。その理由は、「ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってから食事をする。昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある。」―しかし逆にその一方で、例えば父と母を敬えというような神の教え(十戒)を蔑ろにしている現実があるではないか、とのイエス様の批判に切り返されました。

 テモテへの手紙の2,4章3節のところでパウロはテモテに「だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります」と教えています。神の厳しい教えから真理から耳を背け、自分に都合の良いことのみを聞こうとすることは、人間のありようとしてはまことにあてはまることであります。しかしここを耐え忍び「義の栄冠を受ける」ように走り抜きなさい、とパウロはテモテに勧めています。

 ルカ福音書には、ザカリアとエリサベトという夫婦の出来事がありますが、子どものいなかった夫婦に神の憐れみのみ旨により、子が与えられたとき、周りの人々は慣例に従って勝手に名付けを行おうとしましたが、ザカリアとエリサベト夫婦は、それをはね返し、神のみ旨に従って名付けました(ルカ1.5-64)。

 先のファリサイ派がイエスの弟子たちを裁いたように、時に権力者は自分に都合の良い、思惑によって真理から目をそらして、人の戒めを強要し、他者を裁きますが、イエスによって示された神の教えは憐れみと慈しみに満ちています。

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