2011年3月20日 の説教



 聖書

 マルコによる福音書 4章35~41節

説教要旨   自然と人間は闘いの中にあり続けてきた、というような言い方は現代も古代も変わることはありません。旧約聖書に記されている洪水とノアの箱船の出来事は、そうした人間と自然の闘いの最初とされるものであるかもしれない。しかし、近代以降この戦いの果て、人間は自然を支配する。

 先日104歳で召天されたまどみちおさんが、「どうしてだろうと」という詩の中で、こんなにすきとおるような自然を与えられて生きている人間が、いつしか科学技術を過信して人間中心主義的な生き方をしていく、その生き様ありようがすきとおってこないのは「どうしてだろうと」問いかけています。自然と人間の間に人間のエゴというものが巨大に横たわっているのです。

 今日の聖書で向こう岸に渡るため舟を出したイエスさまとその弟子一行は、湖で激しい突風と浸水に見舞われます。熟練したガリラヤの漁師さんたちであるイエスの弟子たちと自然の荒波との戦いの果てに、手に負えない状況を思い知った彼らはイエス様の超自然的な力を頼りにしました。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言ったのです(38節)。この呼びかけは大変大事なものでした。それはイエス様というお方を頼り、人間の科学文明(漁船を操り操業する技術)を彼らは捨てた。人間は限りある力であるゆえ、神とともにあることを彼らは気づきそして願ったのです。

 波風を一喝して鎮めたイエス様に対し41節で、弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。彼らが改めて恐れたのは、自然に対してではない。むしろ、いったい、この方はどなたなのだろう。という問いかけにあるように、イエスというお方に、つまり神の子、神に怖れを抱いたのです。そしてこれは、40節で、なぜこの嵐を荒波をこわがったのか、まだ信じないのかというイエスの言葉につながる。イエス。ともにいます神を信じて、ここに信頼を置いて頼る者には決して怖れなどいらないし、神ともにあるとの祈りにおいて行動できる。神が救ってくださる、という確信こそが私たちを導くのです。

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