2011年3月20日 の説教



 聖書

 マルコによる福音書 8章27~33節

説教要旨   「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」とイエスは弟子たちに問われました。弟子たちの答えは、世の巷の人たちが『洗礼者ヨハネだ』とか『エリヤだ』とか『預言者の一人だ』と言う中で、ペトロが弟子たちを代表して「あなたはメシアです」という優等生的な答えをした。このメシアとは油注がれた者、であり、救う者、救い主、つまりキリストです。古来の教会では、イエスはキリストです、ということを信仰の告白とまで言ってきた。ペトロたちは主イエスへの信頼を適切な言葉で言い表しました。

 ところが、その後でイエスが人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに話し始めると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた、とあります。「わきへお連れして」ということで二人の対話をとろうとしたのでしょうけれど、33節でイエスは弟子たちを振り返っていますから、ほとんど弟子たちの面前での出来事でしょう。そしてペトロは恐らく①十字架で死ぬこと(そのもの)について②長老、祭司長、律法学者たちに殺され③復活するという三点(あるいはその中のどれか)に関わって諫めたものと思われますが、その特徴はイエスの言葉の通り、「神のことを思わず、人間のことを思っている」というものでした。

 荒れ野の誘惑(マタイ4章)において、イエス様は誘惑を試みる悪魔に対して神の言葉で撃退します。その10節でサタンを退け、「主を拝み、ただ主に仕えよ」と言っています。ペトロを叱って言われた言葉でも神を蔑ろにして人間の事柄に拘泥するペトロに、そして弟子たちを振り返っていますからこれはペトロだけではなく弟子たち、あるいはこの言葉を聞いた私たちの方を振り返って言うのでしょう。

 私たち一人一人は破れ欠け多い人間です。優等生気質もコンプレックスもあります。「サタン」とは呼びながら、イエスは弟子たちと共に歩むことを止めませんでした。そのきついお叱りは同時に招きであり、励ましであり、私たち一人一人を愛する神に従いなさいとの導きでありました。

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