2011年3月20日 の説教



 聖書

 ネヘミヤ記 8章1~12節

説教要旨   ネヘミヤがエルサレムに帰還し、城壁の再建が終わった後の出来事です。イスラエルの民は、仮庵の祭りのため、水の門の前にある広場に集まっています。エルサレムの城壁の工事は無事に終わりました。しかし、それは外面の工事に過ぎませんでした。イスラエルの象徴であるエルサレムの城壁の工事が完璧に終わりましたけれども、彼らの心の中では、何か足りない、空しいと感じていました。霊的に、スピリチュアルに渇いたイスラエルの民がそれを解決するために求めたのが、書記官で祭司であるエズラに「主の御言葉が聞きたい」ということです。

 律法に対するイスラエルの民の熱情がいかにあったのかが「夜明けから正午まで」という表現から感じられます。御言葉を聞きたいと切に願った彼らが、慕い求めた通り彼らの目の前で、御言葉が読まれようとして、書が開かれた途端、嬉しくて嬉しくて感情を抑えられずに、自然に立ち上がる行動に移します。そして、両手を挙げるとともに、イスラエルの民は、皆「アーメン、アーメン、アーメン」と唱和します。両手を挙げるというのは、戦争のとき、戦況が不利になって敵に降伏するとき、よく見られる行為です。つまり、神様に降伏しますという意味で、大いなる神様しか頼る方は、この世ではありませんという告白のしるしです。

 その結晶体が「涙」です。久しぶりに御言葉を聞いたイスラエルの民は、今まで捕囚生活で味わった苦しみや神様から離れた生活でスピリチュアルな空白に気づき、その結果、大変泣いています。ただし、ネヘミヤとエズラは、大変泣いているイスラエルの民に、泣いてはいけないと定めています。御言葉によって、自らの状況に気づき、それを素直に神様に告白した上で、神様から赦された感激を持って、その感謝の気持ちを分かち合うことで表現してほしいということです。

 今日の本文から教わるものがいくつあります。まず、御言葉によるリバイバルは、私たち一人ひとりが切に願うことから始まることです。特に、スピリチュアルなリバイバルは御言葉から始まります。御言葉を聞いたイスラエルの人々は彼らの生き様が変わりました。これが「御言葉の生命力」です。御言葉によるリバイバルは、今日、この瞬間から始まることです。成功した人のカレンダーには ‘today、今日’という言葉が書かれているそうです。しかし、失敗した人のカレンダーには、‘tomorrow、明日’という言葉でした。 成功した人の時計には、‘now、今’というロゴが写っていますが、失敗した人の時計には ‘next、次に’というロゴが撮られているそうです。私たちの信仰のカレンダーには、信仰の時計には 、どのような言葉が書ているのでしょう。

 125周年を迎えて色々準備している洛陽教会。今こそ、御言葉によるリバイバルが必要です。今こそ、御言葉によって神様の御志を悟り、それに従うことで、未来を準備することができるからです。今は泣く時期です。明日からではなく、今こそです。そうすると、泣くことに留まらない時期も迎えられます。御言葉によって、我らがスピリチュアルなリバイバルをし、神様に従えることを切に願います。

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