2011年3月20日 の説教



 聖書

 コリントの信徒への手紙二 6章1~10節

説教要旨   「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられると2節にあります。これはもともと旧約聖書のイザヤ書49章8節の言葉です。この神の恵みの時は、今だとパウロは示しています。この「恵みの時」を私たちは日常の中でどのように受け入れているか。

 聖書のパウロの言葉では、この「恵みの時」とは神様があなたに対して言ったことで、これは「恵み」だという判断の主体が人間にあるのではなく、神の言葉にあることを示している。私たちはその呼びかけをこの神の言葉を通して、自分に対して現れている恵みを知るようにとの呼びかけとして受け取るのです。どういう形で神様は自分に言葉を通して恵みを備え、救いを備えているのか。

 今日の第2コリントのこの「恵み」について考えるときに、同じ12章にも似た内容のところがあります。

 「・・・それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです(7-10節)。」

 パウロに対しては、「この恵みの時」は人間が思い上がることのないようにと、与えられたとげ、痛みであった、と。これは恵みではないではないか、と思われるような時です。パウロもその苦しみ痛みを取りのけるよう神に願いました。そのような時に、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」との言葉とともに、(わたしの弱さに応じて働く)キリストの力がわたしの内に宿るとしており、わたしは弱いときにこそ強いという逆説の状況を生み出す。これが神の恵みの時です。

 パウロは、このような逆説的な状況をキリストのために満足している、と言います。「わたしは弱いときにこそ強い」それはたとえ人間の目には恵みと感じられないような時に、陰に隠れて見えないものを受け取ることが出来る力、そこにある神への信頼に依拠しています。

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