2011年3月20日 の説教



 聖書

 エフェソの信徒への手紙 5章21~33節

説教要旨   本日の夫と妻への教えはその関係を通して、キリストと教会について述べている(32節)箇所でもあります。夫と妻の関係としては、22-23節にある示しは、当時の男女観、男女の地位というもののありようを如実にうかがわせるもので、これはパウロの一つの時代的限界と言えるのかも知れない。けれども、この一つの比喩を通して、やはり重点というものは、キリストと教会という関係がこの箇所の随所に見られているように思えます。その時に、あらためてみると世の中には結婚にたとえられる様々な関係がある。例えば会社と会社員、教会と教会員のような関係にそれを演繹することもありましょう。私たちは組織体と自分個人の思惑が違うと、しばしば裏切られたような気持ちになる。教会と教会員という関係でも、そういうことがトラブルとして起こることがあるのです。

 夫と妻ということを一つの対等な関係とすることは大事なことですが、けれども、お互いに仕え合う気持ちがなければ、お互いに相手を愛しているとは言えなくなります。

 教会とはいっても、また組織体とは言われようとも、教会とは人々であり、建物はあるとはいえど、人がいなかったら、そこには教会は無いに等しいのです。その関係の中で互いに仕え尽くす形での愛が大事です。

 アッシジのフランチェスコが聖ダミアノ教会の古びた礼拝堂に行ったときに、そこには誰もいなかったそうです。その聖堂で祈っていたとき、「フランチェスコよ、行って私の教会を建て直しなさい」という声を聞いた。フランチェスコがそこで礼拝をはじめると、そこに人々が集まり、教会が生き返った。教会は人々です。そしてそこに互いに仕えあう関係が生まれる。互いに仕え合う、それが教会の生きた姿を取り戻すのです。

 最後の33節には、夫に対して「妻を自分のように愛しなさい」とあります。これは聖書の中で度々主イエスから「隣人を自分自身のように愛せよ」と示されるわけですが、その愛し方は、主イエスが弟子たちの足を洗ったように仕え尽くす仕方です。このことが結婚の関係の中にも現され、また主イエスご自身とその体である教会との関係にも言い表され、また教会と教会員、またこの世の人々の関係においても大事なことと示されていくのです。

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