2011年3月20日 の説教



 聖書

 コリントの信徒への手紙㈠
        13章1~14章1a節
説教要旨   本日の1‐3節は愛の不可欠性を示しています。『愛がなければ、』という言葉がそれを示し、愛なしにはどんな賜物も(1‐2節)、慈善や殉教も(3節)何の価値もないと語っています。神の前での人の価値は賜物や業績ではなく愛で決ると示しているのです。

 4‐7節は愛を擬人化して愛の特質を語っている。そこでは.愛は思弁的に定義されず具体的特質を列挙することで提示されています。

 そして8‐13節は愛の永遠性を語る段になっています。「愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう」この8節では、愛の永遠性と預言・異言・知識の賜物の一時性を対比し、その後預言、知識が一時的である理由を示しています(9‐12節)。今与えられている預言や知識は,終末の完成時に与えられる知識と比べれば部分的であるのだと。終末に与えられる知識の完全さは、鏡を通してぼんやり物を見ていた人が物を直視する時に似ている。今の知識は部分的だが、終末には私が今神に完全に知られているような完全さで、神と真理(神・人・世界についての真理)を知ることが出来る(12節)と示しています。

 終末をあらわす神の国では世の中の曖昧なものにもきちんとした答えが出る。それは神の愛の出来事において私たちにも知られています。主イエスの十字架と復活そこに現された神の愛による救いの出来事にそれは示され、私たちにも愛するという決断が促されています。

 パウロがコリント教会にこれを示したときに、今のコリント教会には愛が足りないという現実を瀬にしていたとの解釈もあります。

 愛の特質を否定文で語る箇所(4b‐6節)は特にコリント教会に愛の欠如を反省させる文でもあるというのです。これまでにもコリント教会の内情をことごとく批判している文章をパウロは書いています。教会の中で分かれ相争っている(3:3以下)、知識を誇り(3:18以下)、救いの完成を得ているとの自負心、(4:7以下)、愛餐会での利己的行動(11:17以下)、訴訟好きである(6:1以下)等。これらはねたみ、自慢、高慢、非礼、利己心、怒り、非難など愛の欠けをあらわすものであります。それらを示しながら、愛は人の欠点や過ちを我慢し、人を信じ、失望を与える人にも期待し続け、耐え忍ぶ、これを徹底的にできるのが愛ということだと教え示すのです。

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