2011年3月20日 の説教



 聖書

 ルカによる福音書 12章13~21節

説教要旨   本日の聖書箇所の後に続くのはルカ12章22節以下で、マタイ福音書では山上の説教にあたる並行部分です。「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。・・・」

 これに対応するように、16節以下の譬えでは、ある金持ちが豊作で蓄える場所もないほどの備蓄ができ、それを蓄えるための大きい倉を新たに作ろうとして言います。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」しかし神は『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた、という。

 聖書の画家であるレンブラントの絵にバルタザールの宴、という絵があり、これは旧約聖書ダニエル書5章5節を題材にしたもので、この話はイスラエルがバビロニア帝国に蹂躙されていたころの話。バビロニア帝国のネブカドネツァルの後継者ベルシャツァルがこの世の権世、栄耀栄華を謳歌し宴を開いて千人もの貴族と盛大に飲み食いした。ところが宴もたけなわのうち、壁から人の手が表れて文字が書き連ねられた。王は恐怖のあまり声もです。またその文字も解読できなかった。そこで預言者ダニエルが呼ばれ、ダニエルはそれを解読し、こう告げた。あなたの王国はまっ二つにされ、メディアとペルシャに分け与えられるであろう。その予言はその通りになり、その日の内にベルシャツァル王は殺された。

 新約聖書でイエスさまが示されている烏や野の花の譬えを通してみれば、命というものは明日をも知れないものだが、そもそも生かされているそのこと自体が感謝であり、光栄なことである。人間にはもっと深い神の憐れみと許しが与えられている。それは神様に向かい合えば合うほど、ひとりの存在としての人間がどんなにか恵みで満たされているかということを思わずにはいられない。そしてその一人一人に神様はみ心にかなった仕方で栄光をあらわします。

人の命は財産によってどうすることもできない・・・ただ、神の恩寵のみ、恵みのみ。そういう生き方をする。神が慈しみをもって一人一人を導き支える。その御手の導きに深く信頼をして歩みたいと願います。

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