2011年3月20日 の説教



 聖書

 ローマの信徒への手紙 5章12~21節

説教要旨   今日の聖書には、恵みの賜物という言葉が与えられています。「恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。(15節)」キリストの恵みの賜物と比べられているのは、創世記で神の息によって与えられた最初の人間であるアダムであり、そのことを「一人の罪によって多くの人が死ぬことになった」とこの15節では示している。

 カトリック教会の神学概念では七つの大罪(Septem peccata mortalia,暴食、色欲、強欲、怠惰、憤怒、傲慢、妬み)と示されているものがあるが、その聖書上の典拠となるものはローマの信徒への手紙1章の28節以下にあり、それら罪に陥り賠死に価する可能性が言及されています。原罪はアダムの神への不服従であるけれども、今日全ての人がアダムと同様罪人である、とされることは、死が全ての人間に普遍的なものとなっていることからわかります。

 しかしこの死の支配下にある私たち人間は15節後半に示されるように神の救いの御心に適いました。「一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、尚更、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。」

 イエス・キリストの恵みの賜物。これはアダムの末裔として、・・・一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです(17節)」として示され、つまり恵みの賜物はイエス・キリストの贖(あがな)い、救いを通して全ての人間に分ち合われることとなった、というのです。 

 この恵みの賜物は罪の支配よりもより大きい原則であり、支配であります。

バッハのマタイ受難曲の第40コラールには「されど、汝が御恵みと恩寵は我らの内なる罪よりもなお大いなるものなり」との歌詞があります。その作品原稿への自筆サインをS.D.G(SOLI DEO GLORIA神にのみ栄光)と示し自らを退けたバッハの信仰もまた、神の恵みの支配する原則に生き、また賛美した人のありようとして豊かに示されています。私たちもキリストを通して示される神を豊かに受け取る信仰が与えられるよう祈ってまいりましょう。

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