2011年3月20日 の説教



 聖書

 ルカによる福音書 20章27~40節

説教要旨   イエス様は死者の復活を否定するサドカイ派の人々の問いを受けました。「モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と(28節)。これは当時のレビラート婚という定めで、申命記25章には、子どものいないまま夫が死ねば、その夫の兄弟、あるいは最近親者がその寡婦を妻にして子孫を残さなければならないとあるものです。サドカイ派は更に「七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。次男、三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。最後にその女も死にました」という想定で「復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか」という問いを投げかけました。彼らはこういうありそうもない事例を持ち出して復活は合理性を欠くということを示そうとしました。

 主イエスはこれに答えて、出エジプト記3章6節で、神がモーセに「わたしは……アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と語られたことを示して、神と族長との関係は過去形(であった)ではなく現在形(である)で表現されており、それは、彼らが復活し今も神との温かい交わりの中に生きていることのあかしであることを示しました。更に34節から、復活者は、めとることも嫁ぐこともなく、死ぬこともなく、天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子である、と示しました。

 サドカイ派は教理的には律法(創世記~申命記)をのみ信用し、預言書や諸書を軽く見ており、そこがファリサイ派などとは相容れない(使徒言行録23章)グループでこの世の現実派であり、富や地位やサンヘドリン(最高法院)の権力政治に拘泥しここから大祭司を排出する傾向がありました。その彼らの理解を飛び越えて主イエスによって示された復活者とは、地上でしっかりと罪の悔い改めに立ち、ある時は神に導かれ、ある時は裁かれ、叱咤激励され、また祝福されるという先祖アブラハム、イサク、ヤコブの生きた神との信仰のありようをもって問いかけられるものです。ここに神の愛に導かれた復活者を示し、地上の権力に拘泥して弱き者、貧しき者を苦しめ差別し痛めつけていた祭司ら権力者達に対して真実の心の問いかけを為したのです。

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