2011年3月20日 の説教



 聖書

 ヤコブの手紙 5章1~11節

説教要旨   ヤコブの手紙5章にはこの世の権力をもつ者、それを力頼みに、金や富の力という、世の中を動かす明かな物質的な力をもって全てを蹂躙する者たちの享楽的なありようの一方で、労働者達が抑圧されていく。そういう社会の状況が赤裸々に報告されています。彼らに対する糾弾と神のさばきを示す言葉が綴られていく一方で、この手紙は単なる政治的なアジテーションを行っているのではなく、むしろ神の力を侮り、人間の自己中心的な物質的なありように依存したことを批判している。

 さてヤコブの手紙の著者は、7節に「兄弟たち」と語りかけている。9節にも10節にもこの呼びかけが出てきます。手紙の書き手の特定の仕方次第で史的状況は変わりますが、クリスチャン達への迫害という背景は確かだろうと思われます。

 7節で「主が来られるときまで忍耐しなさい」と勧められています。雨季と乾季が繰り返すパレスティナ地方で農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つとあり、この表現が忍耐の比喩とされます。

 更に10 節では「預言者たちを、辛抱と忍耐の模範とする」とありますが、それは初代キリスト教徒たちにとって、例えばエリヤのような旧約預言者や、バプテスマのヨハネという預言者は受難の、迫害をうけた預言者達であるが最も慕われ親しまれた預言者です。何よりも主イエスがマタイ福音書の5章のところで、「義のために迫害される人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」と、迫害を耐え忍ぶ人々を励ましました。これは迫害期の時代の教会に向けてどんなに慰めになった言葉だろうかと思います。

 ヤコブの手紙は主イエスの言葉を忠実に下書きにしながら書かれた手紙だとよく言われますけれども、やはりこういったところによくそれが現れています。最後に言及されている旧約聖書のヨブの忍耐の幸いは、神様と必死に対話しようとして、どんな手助けも顧みずにそれを求めた姿が示され、慈しみ深く、憐れみに満ちた主への信頼が示されています。

 アドヴェントはキリスト到来を待ち望む日々ですが、苦しみと忍耐の中にある人々への希望の訪れを覚えてまいりましょう。

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