2011年3月20日 の説教



 聖書

 ローマの信徒への手紙 12章1~8節

説教要旨   あなたがたのなすべき礼拝(ローマ12・1)という聖書の言葉がこの年頭に与えられました。この1節でパウロは、「神の憐れみ」によって勧めて語っています。そしてこの神の憐れみということに引っ張り出されるようにして、このローマの信徒への手紙の12章には、人間の立場でいうと、相手に同情し、共感し、共有するような勧めが随分意識されて語られているように思います。例えば同情とは聖書のもとのギリシア語では人間の臓器に関係する言葉で、つまりは心に発してくることなのですが、その例として15節には、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」という有名な言葉があります。共に喜び、共に泣くというのは共感性の高いことで、そのような相手の立つ場を思いやることです。こうしたことが神の憐れみと人の心の動きと伴っております。「神の憐れみ」は人間現実をどのように注視しているのでしょうか。

 2節には「あなたがたはこの世に倣ってはなりません」とあります。このもとになっているギリシア語のスケーマは形であり、ここでは(この世の)形と同化するという意味になります。その形とは、人間の権力者の利害優先にして自己中心的なこの世のありようであり、この世のスケーマは弱者や小さき者を念頭に置いておりません。私たちはそうしたこの世のありように倣うのではなく、「むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」と勧められています。

 ところで、3節や6節に『わたし(たち)に与えられた恵み』とあることは、誰にでも、一人一人与えられている恵みであるが「自分を過大に評価してはなりません・・・信仰の度合いに応じて慎み深く」とあるのは、人間は思い上がりの激しい存在ですから、この世のスケーマに倣ってどんどんのし上がっていこうとします。そうしたときに神様を忘れ、小さき者を踏みつけにしてしまうのです。5節には、わたしたちは・・・、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分であると示されています。それは互いに他を思いやり助け合って生きていく道が示され、そうしたときに大切なことは神の愛にこそ倣うべきであるとの教えです(13章)。

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