2011年3月20日 の説教



 聖書

 詩編 111編1~10節

説教要旨   今日読みました詩編は神様をたたえ、神様の御業を讃える歌です。最後の10節では神様を讃える歌は永遠に、と締めくくられています。神様を讃える歌はいつ始まったのでしょうか。その昔、詩編の作り手、歌い手であるとされたのは少年ダビデだったと言われ、例えば詩編の2~41編はダビデ詩編と呼ばれる塊であり、そのすべてがダビデの詩とタイトルがつけられています。

 ところでよく知られていることですが、現代の音楽療法のルーツは『サムエル記』上16章14-23節に由来すると言われています。そこにはイスラエルの王サウルが夜な夜な出る「悪霊」におびえたため、家来たちは王のその病を癒すために竪琴の名手を探して「悪霊」を払おうと考えるのです。かくしてダビデがサウル王の前に呼ばれ、事あるごとにダビデはサウル王に竪琴を聴かせた。するとサウルは心が安まって気分が良くなり、悪霊は彼を離れたのです。

 ダビデは竪琴の名手です。そしてサウルに奏でたダビデの音楽は、サウルの心を深く癒した。サウルはダビデを重用し、一の家来としましたが、後に疑心暗鬼が昂じてダビデをも疑うようになり、逆に身を亡ぼしました。サウルの命運が尽きたのは、ダビデの癒しの竪琴を聴かず、世の流言に惑わされたためでした。そうしますと、サウル自身が神に依り頼まなくなり、神から離れていく。神と信頼、音楽と癒し、そして命。これらは深くつながりをもっています。

 プロテスタントの宗教改革の先駆者たちは、当初聖書一本だけで礼拝を行おうとしました。しかし改革者マルティン・ルターやジャン・カルヴァンは讃美歌を重視し、聖書の解き明かしと会衆の神への賛美を礼拝の表裏一体の関係とし、今日の私たちの礼拝式を整えたのです。

 私たちの行っている礼拝にはいろいろな要素がある。私たちが神様を讃えるとき、同時にそれは喜びの時であり、励ましの時、慰めの時、身を正されるとき、悔い改めの時。時に人間悲しく辛いこともあります。悩みの時もあります。その全てが人間の現実の時でありますけれども、この礼拝ではその全てに神様が伴うことを示されます。

 このオルガンが果たす礼拝賛美の新しい役割に祝福を祈ります。そしてこの礼拝における新しい賛美が常に導かれ、生き生きとなされ、命をもつように願います。

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