2011年3月20日 の説教



 聖書

 ルカによる福音書 7章1~10節

説教要旨   創世記の一つにソドムとゴモラという、不信仰な人々の町が神の滅ぼしに遭う出来事があります。そこから逃げ延びるロトとその妻は決して滅びる町を振り返ってはならないと言われた。しかしロトの妻は振り返り、その不信仰と滅びの姿を見たとたん、塩の柱となってしまった。

 私どもにとって、この人生の一瞬一瞬はロトの妻だと思わされる。神様をまっすぐに見つめて、歩むのだと。昨日当教会でコンサートをされたゴスペルシンガーの塩谷達也さんもメッセージで語った。

 ロトの妻のように罪の闇、神への不信仰へと振り返っていくことの多い私どもにとって、この振り返る人間の現実は闇だと思わされる。闇をもがきながら、必死に光の方向に出ようとする。

 十字架で死して葬られたイエスの墓で遺体がなくなっていることに気づいたマリアが泣いていると、主イエスが現れ、主はマリアを振り向かせた。つまり神の方向へと方向転換させた。

 「振り返る」という言葉は、新約聖書の中の重要なキーワードで主イエスに関してこの言葉が使われていく時、一つの重要な方向転換を促すテーマがある。マリアを「振り向かせた」イエスは、イエスの遺体にすがりつく彼女を解き放ち、彼女を支配している闇からも解き放った。嘆き悲しみを復活の希望で解き放ち、闇を光に変え、絶望を希望に変え、悲しみ憂いを喜びに変えた。それは、主の方向に私たちを振り返らせる時、そして主が私たちを振り返る時。こうした言葉に私たちの体の動作とともに、心のありよう、と言いますか、新しい心、神と向かい合う新しい人のありようが生まれるのです。

 ルカ福音書7章1-10節にある百人隊長は(異邦人であるのに)周りのユダヤ人たちから信頼され、死にかけた部下を熱く思いやりその治癒のために東奔西走する心熱い人でありました。ひとたび、主イエスに頼りその往診をお願いしたが、思いきわまって、それにはおよばないと。ただ一言命じてお癒やし下さいと懇願しました。主イエスはその謙遜な態度とともに、神に信頼するその心を受けとめ、周りの人々を振り返り「これほどの信仰を見たことがない」と示しました。主イエスは振り返るこの動作とともに、私たちを神の方向へ向かうよう促すのです。

 わたしたちが教会創立125年を迎えるとき、詩篇37篇5により「あなたの道を主に委ねよ、信頼せよ」が示されました。一人一人が自分らしく、解き放たれた姿で、神様を賛美し、喜んで信頼を託して歩んでまいりたい。そうした一本道を主とともに歩んでまいりましょう。

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