2011年3月20日 の説教



 聖書

 ルカによる福音書 14章15~24節

説教要旨   イエスさまと食事を共にしていた客の一人が「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言ったとあります(ルカ14章15節)。ここまでの経緯はイエス様が、12-13節のところで、「宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい」と示した言葉に反応したものと思われます。

 イエス様の集まりには社会では冷遇されている人たち、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人が招かれる、そういうひとたちこそが優遇される。この客人はイエス様の言葉やその指し示す共同体のそうしたありようにたぶんとても共感したのではないか。それが、「神の国で食事をする」という表現となりました。そもそも主イエスはルカ16章のラザロのたとえのところでも似たような話をなさいます。ラザロは貧しさの中で死にますが、天の宴席ではアブラハムそばに連れて行かれる。25節でアブラハムは「今は、ここで彼は慰められ」と語っています。

 イエス様は、16節以降で、神を宴会を催す主人に例え、そこに招かれた人々が次々と体よく断るという例えをなさいます。主人は怒って『貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい』と示し、逆に招きを受けて断った者たちを憂えています。ユダヤのミドラッシュを見ると、古代オリエントの招待は二度丁寧に行われるがいったん承諾しておきながら断るのは大変無礼なことと言われます。

 神様の招きは全ての人々に開かれています。しかしその招きというものそのものがもつエネルギーとは相当なものであります。ここに神の招きがもつダイナミックなところと、重大さがあり、この招きに応えていくことも大変重いことです。しかし神様の招きは最も私たち人間にとって大切なわざへの招きです。愛であり、平和であり、信頼です。ここに立っていくときに、最も小さな者への豊かな愛に満ちた、共生社会、食卓共同体が実現するのです。

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