2011年3月20日 の説教



 聖書

 ルカによる福音書 17章11~19節

説教要旨   今日の聖書のところは、イエスはエルサレムへ上る途中の、サマリアとガリラヤの間を通られたとき、ある村で重い皮膚病を患っている十人の人をお癒しになった出来事です。しかし、主題は神様のなさった癒しもさることながら、この患者十人と主イエスの、愛の応答の関係はどのように展開されているか考えさせられます。

 ここで、イエス様と10人の患者との関係は、癒しで結ばれたひとつの愛の関係です。神様は、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」との言葉に求めを受け取られ、ここに愛の癒しが実現しています。彼らは神様に愛されたのです。そこで確かに惜しみなく愛は与えるという関係が、神様が私たちに示して下さる愛ではあるけれども、呼応して与え返すこともまた愛の関係です。

 ルカ7章47節には、主イエスに涙と自らの髪で迎えた女性が出てきますが、人々は彼女を軽蔑し罪の女と呼ばわっています。しかし主イエスは、周りの人々に、あなたがたは足を洗う水も、挨拶もしなかったではないか、として、女性「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」と語り示しています。この女性と主イエスの間には人と神との間の信頼に基づく相互の呼応関係がありますが、ただ女性を揶揄していた人々にはそれすらありませんでした。

 愛と信頼のコミュニケーションには他人がどう愛するか,神がどう愛するか、というだけではなく、自分はどう愛するかということにも関わってきます。

 「その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。・・・そこで、イエスは言われた。「・・・ほかの九人はどこにいるのか。・・・神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」(17章15-18節)。十人は、神様に癒やされ愛されて大いに喜びました。けれども、その中で、愛の呼応関係をもっていたのは、たった一人でした。癒やした人に自分はどうすべきかを知っていた、というべきでしょう。それを感謝するという行いで彼は表した。神様に感謝していたのです。ここにこのたった一人とイエス様との間に愛の呼応関係がありましたが、聖書の時代にも、愛の呼応関係をもったのは、10人いればその内の一人でしかなかった、という人間の現実が示されています。

礼拝の説教一覧へ戻る